訪問・滞在・参加レポート
クリスタル・ウォーターズ(Crystal Waters, Queensland, Australia)
COP 3(地球温暖化防止京都会議)の翌年の1998年に、私はオーストラリアのクリスタル・ウォーターズというコミュニティに約1ヶ月滞在しました。グローバル・エコビレッジ・ネットワーク(GEN )のメンバーとして、環境負荷の低い持続可能な暮らしに村全体で取り組むパイオニア事例として世界的に知られた村で、1995年には国連よりワールド・ハビタ賞を授与しています。
クリスタル・ウォーターズは、1970年代はヒッピー・コミュニティだったそうですが、1985年より開発がスタートし、1988年に土地整備が完了。区画が売りに出されました。当時の居住者は成人の半分がPDC(Permaculture Design Certificate=パーマカルチャー・デザイン資格)コース修了者で、6名がディプロマを保持していたとのこと。当時パーマカルチャーの村と呼ばれていました。広さ260ヘクタールの起伏の多い丘陵地には83の住居区画があり、1997年始めの居住人口は約180人でした。
私は訪問前に、日本で1泊2日のパーマカルチャー入門ワークショップに参加していました。講師はメキシコからの来日でしたが、元クリスタルウォーターズ居住者でした。当時、私にはクリスタル・ウォーターズでWWOOFをした知人がいて、彼女より話を聞いて一度訪問したいと思っていました。そこで、その講師にクリスタル・ウォーターズでパーマカルチャーを学べる場所を尋ねた所、元パートナーだった方が教えているPDCコースがあることを知りました。ロビン・クレイフィールドさんです。住所を教えてもらい、手紙で連絡をとりました。
PDCコースと、村の暮らし
出かけたのは1998年の1月末。日本は真冬でしたが、南半球では真夏でした。ブリズベンより車で約1時間半ですが、私は鉄道で行きました。2時間ほど汽車に乗り、ランズボローという駅で下車し、そこから迎えの車で30~40分山の中に入った所でした。
PDCは2週間で受講生は合計17名。オーストラリア以外に、アメリカ、ドイツ、イタリア、ニュージーランドからの参加があり、日本からは私ひとりでした。PDCの期間中、受講者たちはビジター・キャンプ・エリアに持参したテントをはったり、ロッジに滞在したりしていました。ロッジは6人部屋で、簡素な2段ベッドがあり、そこに持参した寝袋を広げて眠りました。周囲は亜熱帯雨林とユーカリの森で、村全体が野生生物の保護区です。生き物がたくさんいて、朝5時からワライカワセミのユーモラスな鳴き声が聞こえます。6時になるとウィップバードという鳥の不思議な鳴き声があちこちで聞かれ、その他の鳥達も大合唱を始めます。7時を過ぎると、赤と青のカラフルな大型オオムがロッジのそばの木々に食事にやってきます。
村にはダムと呼ばれる溜池が15か所ありました。いずれも道路からアクセス可能な非常時の水源で、気象調節、景観作り、レクレーションなどの機能を併せ持っていました。
私たち受講生はロッジから12分、緑の小径を歩いて村のキッチンまで食事にでかける途中、ひとつの溜池のそばを通りました。睡蓮が咲いていて、美しい小鳥のつがいに出会うのが楽しみでした。カンガルーもあちこちにいました。
朝食後の9時からPDCの講座は始まります。キッチンから10分ほど坂道を上がった所が会場です。講座の最中でも鳥の賑やかな鳴き声が聞こえてきて、外を見ると薄緑色の美しい中型インコの群れが木に止まっていました。
クリスタル・ウォーターズの村の端から端までを結ぶ道路の長さは4キロ半。緑の丘、森の木々、睡蓮の咲く池などの美しい風景の中に村人との家々が点在していました。いずれも個性的な造りで、泥レンガ、木造、ティピィと呼ばれるテントの家、植物で緑化された屋根の家もありました。家の区画は1エーカー(約4.047m²)で、パッシブソーラーの工夫がされ、自然生態系を模したガーデンで自給作物をが育てられていました。
コンポストトイレが使われとてもシンプルなものから、ミミズや微生物に分解させる仕組みのものまでありしたが、クイーンズランド州衛生部局により認められているDOWMUSのモデルが多く使われていました。いずれも排泄物が養分として土に戻る仕組みで、臭いもほとんど無く快適に使えました。
洗濯やシャワー用の水は、川から高所の共同タンクに組み上げられ、そこから重力で各家庭に配水されていました。また飲料水は各家庭に設置された雨水タンクの水でした。建物は通気性と断熱性を考慮したデザインで、亜熱帯の夏の暑さを考慮して、家への日照を遮るため、北側(=南半球では日向側)に落葉樹が植えられていたり、バルコニーに蔓性植物を這わせていたり、庭池を作って冷却効果を得たりしていました。屋根に土をのせて緑化している家もありました。電気も天然ガスも使えるのですが、以上の工夫に加えて、太陽熱温水器、太陽光パネルを設置している家もあり、電気使用量はクィーンズランド州の他の町の平均のほぼ半分でまかなうようになっているとのことでした。
PDCの最終日は夜にパーティーがありました。音楽を演奏したり、パフォーマンスをしたり、楽しい一時でした。私はここで日本の「カエルの歌」を皆に教えて一緒に歌いました。まず歌詞をローマ字で板書し、英語で意味を伝えました。そして日本の里山の話をしました。そこでかつて営まれていた環境共生型ライフスタイルや、棚田景観などを話し、カエル大合唱が聴けることを話してから、歌の練習に入りました。加えて、近年の宅地開発やゴルフ場などのリゾート開発で、このような里山が急速に失われていること、そして農薬の使用でカエルの声もあまり聞けなくなっていることも伝えました。PDCの受講生の人たちは国籍こそ異なるものの、同じような問題意識を持った人たちなので、この種の話はすぐわかってもらえました。と同時に「カエルの歌」は、かつて日本にもっと自然が残っていた頃の歌だということで、とても気に入ってくれました。練習して3グループに別れて輪唱できるようになり、盛り上がって何度も繰り返し歌いました。受講生の中にはPDC終了後、南アフリカに出かけ、そこの政府プロジェクトとしてパーマカルチャーの手法による村作りに参加する女性がいました。彼女は「そこで子供達と一緒に歌いたいから」と言って歌詞をメモしていました。
WWOOFer体験
PDCコース終了に伴い、私はビジター・キャンプ・エリアのロッジを離れました。そして村人の家にWWOOFerとして滞在しました。WWOOFとはWilling Workers on Organic Farmsの頭文字で、接尾辞の~erをつければ「有機農場で働きたい人」という意味になります。日に数時間、労働力を提供し、宿泊場所と食事を提供してもらうワークエクスチェンジの仕組みです。世界各国にこの仕組みのネットワークがあり、私は今回の訪問に先立ってWWOOF Australiaに加盟しておきました。
私が滞在したのは、デニス・ソーヤーさんというイギリス出身の女性のお宅でした。古い電車でできた家に1人住まいをされていました。デニスは村の雑草管理の責任者で、仕事の日は早朝より作業着を来て出かけ、私はWWOOFerとして、ガーデンで雑草刈り、刈り草集めとマルチ、苗の植え付け、池掃除などをしました。雨の日は窓ガラス拭きをしました。食酢を水で薄め新聞紙を浸して絞って拭くと、汚れがよく落ちました。亜熱帯の夏では、外作業は午前10時までがしやすく、15時以降に再開します。紫外線が強くなる真昼は、木陰、風通しの良い室内、デッキで過ごしたり、近くの木立の中の川で泳いだりしました。時々、私は自転車を借りて、村人の溜まり場であるキッチンまで出かけたり、個人宅を訪問し、数人の村人にインタビューをし、クリスタルウォーターズでの暮らしのことや、ここに住むことを選んだ理由などを取材しました。
ある夕方、ガーデンでの作業を終えた後、デニスと一緒に近くの池に泳ぎに行きました。日暮れなのに昼間の太陽の直射で温められた池は、まるで温泉のようでした。日中は暑すぎるので村人たちは池でなく、水の冷たい川で泳ぎます。池は夕方以降に泳ぐのがちょうど良いようです。この日は、私たち以外に2~3家族が泳ぎに来ていました。前日に私たちを夕食に招待して、おいしいフィッシュスープをご馳走してくれた隣人家族も来ていました。
池の上には夕焼け空が広がり、遠景の森や山々が暗いシルエットを作っていました。池に入り岸を離れるとすぐに足が立たない深さになり、水面の温かな水の下に、冷たいとても気持ちの良い水を感じました。池の端から端まで約100メートルをゆっくり泳いで、2〜3往復した後、上向きになってそのまま浮かんでいると、もうすっかり暗くなった空に、星が輝いていました。
デニスの家にWWOOFer滞在中は、彼女のガーデンにあった古いキャラバンで眠っていました。亜熱帯雨林の中に何年か放置されていたらしく、けっこうボロボロでクモや大きなアリがたくさん入ってきました。キャラバンに電気はひかれておらず、夜はキャンドルを使いました。毎回の食事はデニスか私のどちらかが作ったり、一緒に作ったりしました。夕食時はいつも話がはずみ、楽しい一時でした。デニスは村の情報をよく把握していて、様々な話を聞くことができました。実際にはいろいろな問題があることがわかりましたが、地域作りの事例として参考にすべきことは多くありました。
ここで10日間を過ごした後、ブリズベンに戻り、そこから3時間バスに乗って、ニューサウスウェールズ州にキャラバンで滞在していたPDCコースのクラスメイトの女性を訪問し、彼女のキャラバンで2泊させていただきました。その時、思いがけないラッキーな出来事がありました。近くでジェフ・ロートンさん(Geoff Lawton)が教えるPDCコースが、日本からの受講生グループを対象に開催されてることを彼女が教えてくれたのです。日本語の素晴らしい通訳付きコースでした。訪問したら1日だけの飛び入り参加をさせていただきました。とてもうれしい体験で、パーマカルチャーに関心のある日本の人たちとも知り合えました。その後、3/2に日本に帰国しました。
その後の訪問~現在
その後さらに2回、クリスタル・ウォーターズを訪問する機会がありました。2度目の訪問はPCCJ(パーマカルチャー・センター・ジャパン)のツアーで行きました。何人かの方に再会しましたが、デニスには不在で会えませんでした。
その後、2010年9月に3度目の訪問をしました。この時はブリズベンよりレンタカーでひとりで出かけ、村の民宿に2泊しました。ガイドさんを予約し、1度目2度目の訪問で見ることのできなかった場所の案内と、村の様々な話を聞きました。加えてパーマカルチャー講師としてその後多くのYoutube動画を作られているモラーグ・ギャンブルさんを訪問しガーデンを見せていただきました。
小さな子ども達用のカラフルな遊具が家のそばに置かれ、テラス状のガーデンには多くの野菜、花、ハーブ、果樹が植えられていました。
また複数の村人が関わる竹林プロジェクトもガイドさんに案内してもらい、様々な種類の竹を見ました。
自宅のスパイスガーデンも見せてくださり、タケノコのスープをご馳走になりました。私はお礼にタケノコ模様のある日本手拭いをプレゼントしました。
加えて、村長のマックス・リンデガーさんの菜園やファームも見学させていただきました。
ファームはシルボ・パスチャー(silvopasture)事例だと思われ、果樹とナッツ、肉牛、ハチミツが重ねられ、とても興味深かったです。このファームについては、「土と健康」2020年12月号(日本有機農業研究会)の「パーマカルチャーとは?」の中で、少し紹介しています。
1回目の訪問時にPDC受講生全員で訪問したバリー・グッドマンさん宅を、今回ひとりで訪問しました。お庭の大型水性植物による排水処理システムのデザインと施工方法を、日本でもこれを必要とする方とシェアしたかったので、その話し合いのためでした。WWOOF滞在した「電車の家」も再度訪問し、デニスに再会できました。
デニスはこの2ヶ月後の2010年11月に来日し、当時住んでいた美山町の私の住居に「WWOOFのお返し」として1週間滞在し作業をしてくれました。滞在中は美山町の自然文化村リンゴ園に行ったり、私の友人達にかやぶき民家の里などを案内してもらったり、京都市内の観光を楽しんだりしました。またデニスよりクリスタル・ウォーターズが直面している問題もさらに聞きましたが、それらを克服し、パーマカルチャーの村のパイオニア事例として、進化し発展してほしいと願わずにはいられませんでした。
2011年3月
参考
Crystal Waters Permaculture Village Guide 3rd edition 1997
補足
2021年11月にクリスタル・ウォーターズのHPを見たところ、この村は33周年を迎える多文化コミュニティとなり、居住人口が250人以上になっていることがわかりました。この人数はこのコミュニティがデザインされた当初に想定していた人口です。一時後退していたパーマカルチャーの村というコンセプトも復活していました。詳しくは以下の公式サイトをご覧ください。
https://crystalwaters.org.au
https://crystalwaters.org.au/about/cw-history-and-background/
2022年1月